2016年6月23日木曜日

道徳スクランブル…


ちかごろ、ブログの更新をサボっております。(´;ω;`)


あ、ほげ子さんは、わりとちゃんと勉強している様子です。
それになかかなか、おかーさんが追いつけずにおります。


昨日は、学校の勉強の様子を聞いてみました。

道徳の時間があったそうなので、どんな内容なのか教えてもらったのですが……



マツオバショーの話だった!」

「芭蕉? 俳人の?」

野球の!」


俳人で野球好きといえば、正岡子規を思い出しますが、松尾芭蕉の時代には、まだ野球はなかったような気がします。


「それ、別の人と間違えてない?」

「ええと、マツオ・・・マツ・・・」

「もしかして、松井秀喜?」

「そうだった!」

「だいぶ違うよ……で、松井秀喜の、どんな話だったの?」

「あのね、その松井秀喜が、ものすごくたくさん打つから、敵のチームに、ふぉうだまっていうのをされて、激怒したんだって」


また、分からない言葉がでてきました(´・ω・`)。


ふぉうだま・・・って、何かな」

「打てないところに、ボールを投げられること」

「もしかして、四球のことかな。フォアボール」

「そうかも! で、松尾芭蕉は頭にきて、バットを投げつけたんだって!」

松井秀喜ね」

「そうだった! でも、そんなときに、有名なサッカー選手のことを思い出したんだって」

「サッカー? 誰?」

「誰だっけ、ええと……お……織田・・・信長?」

「もしかして、野球選手の王貞治?」

「あ、そうかも! その王さんがね、何回ふぉうだまをやられても、バット投げたりしないで、ソヨーチョーの教えにしたがって、しずかに立ち去ったっていうのを思い出したんだって」


もはや、全くわかりません。(´・ω・`)


「……ソヨーチョー(租庸調)って、教えとかじゃなくて、大昔の税金のことだよね」

「そうだっけ? なんかとにかく、小田和正を尊敬する松尾芭蕉は、自分もそうすることにしたんだって」








小学校の道徳、だいぶ、エライことになっているらしいというのは、よくわかりました。







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2016年6月5日日曜日

今日の朗読…江戸川乱歩「人間椅子」

今日も、おかーさん朗読会を開催しました。

聴衆は、ほげ子さんと、おねーちゃん。

読んだのは、「人間椅子」。

文豪ストレイドッグズにも出てくる、江戸川乱歩の作品です。


例によってKindleでダウンロードして、読みました。


 奥様、

 奥様の方では、少しも御存じのない男から、突然、此様このような無躾ぶしつけな御手紙を、差上げます罪を、幾重いくえにもお許し下さいませ。

 こんなことを申上げますと、奥様は、さぞかしびっくりなさる事で御座いましょうが、私は今、あなたの前に、私の犯して来ました、世にも不思議な罪悪を、告白しようとしているのでございます。

 私は数ヶ月の間、全く人間界から姿を隠して、本当に、悪魔の様な生活を続けて参りました。勿論もちろん、広い世界に誰一人、私の所業を知るものはありません。若もし、何事もなければ、私は、このまま永久に、人間界に立帰ることはなかったかも知れないのでございます。


江戸川乱歩「人間椅子」の最初のほう…青空文庫版





美貌の人気女流作家にして人妻である佳子さんのもとに、見知らぬファンから分厚い手紙が届きます。


送り主は、自称椅子職人だという男。

貧しく、容貌も醜悪なため、女性と全く縁のない生活だったという彼は、こともあろうに、内部での居住が可能な椅子を作って、中に入り込み、自分ごとホテルに納品させてしまいます。


男はホテルで、夜な夜な盗みを働き蓄財し、昼間は泊まり客に座られる生活を送っていましたが、やがて、美しい外国人女性たちに座られることに、喜びを感じるようになってしまいます。


ところがある日、ホテルの経営者がかわり、椅子は売り出されてしまうことに。


男は椅子ごと、日本人の家庭に買い取られ、その家に住む、人妻の人気女流作家に座られるうちに、彼女が好きになってしまい……



そして、おどろきの結末を迎えるところまで、ダイジェスト朗読をしました。

ほげ子さん、わりとツボなお話だった様子です。



このお話、おかーさんは、小学校五年くらいのころに、ラジオの朗読番組で聞いた記憶があります。女性に座られているときの、椅子男の様子が、薄気味悪いような、それでいて、なんだかおかしいような、奇妙な気持ちになったのを覚えています。


グロテスクですが、人が死んだり殺されたりしないので、読みやすいお話ではあります。








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2016年6月4日土曜日

文豪の小説を、ちょっとだけ読む

ほげ子さんは、塾で、夏に向けた課題をもらってきました。

そのなかに、文豪の作品を、250頁以上読む、というのがあったので、さっそく、家族で音読会をすることにしました。

昨日は、おかーさんが、芥川龍之介の「鼻」の前半を朗読。


今日は、ほげ子さんが、太宰治の「人間失格」の、第一の手記の冒頭を数頁分、読んでくれました。聴衆は、おねーちゃんと、おかーさん。



 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間の生活というものが、見当がつかないのです。自分は東北の田舎に生まれましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊技場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。

  (中略)

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住には困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱり分からなかったのです。へんな言い方ですが、おなかが空いていても、自分でそれに気づかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口に放り込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。


  (中略)

 つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、ということになりそうです。


太宰治 「人間失格」  



 言葉がだいぶ古いですが、太宰の文章はとても読みやすいので、ほげ子さんも、ほとんど苦労なく読んでいました。



 読んでから、少し、感想を話し合いました。

 ほげ子さんは、昨日読んだ、芥川の「鼻」と、太宰の「人間失格」をくらべて、


「太宰のほうが、自分のほんとうの話を書いている分だけ、強い人のような気がした」


と、言っていました。


「人間失格」を全部読むと、このお話がフィクションとして書かれていることが分かるのですが、内容が、小学生にはちょっと厳しい、救いのないものなので、大人になって、いつか思い出したら、全部読んでみてほしいかなと思います。

ちなみにおかーさんが「人間失格」をまともに読んだのは、三十歳を超えてからでした。当時二歳くらいだった、おねーちゃんが、なぜか本棚から「人間失格」を抜いてきて、読んでとせがんだからです。



それにしても、Kindle版の、人間失格 いま、文豪ストレイドッグズのキャラがカバー絵になってるんですね( ̄。 ̄;)。







思わず買いそうになりましたが、ぐっと思いとどまって、青空文庫版(無料)をダウンロードしました。



↓こっち





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